エンドロールには早すぎる

ドラマや映画やゲーム。どうしてそれが面白いのかを考察します。

映画『たそがれ清兵衛』で俺は清兵衛の生き様に震え、泣く

ひと昔前の映画を観た。『たそがれ清兵衛』時代劇だ。俺はこれまでまともに時代劇を見たことがないからワクワクして観た。面白かった…

たそがれ清兵衛』が何故素晴らしいか? 「内面」を注視するように描いているからだ。
主人公は清兵衛という名の人間だ。俺はこの映画で、彼の生き様を見ることになる。

彼は下級武士だ。あまりにも貧乏な男だ。風呂にも入れず服は継ぎ接ぎ。同僚との付き合いには参加せずたそがれ時にまっすぐ家に帰るため『たそがれ清兵衛』とあだ名される。家に帰れば内職をして、病気の婆ちゃんと幼い二人の娘をどうにかこうにか養っている。妻に先立たれ、周囲に蔑まれながら生きている。貧乏な暮らしに最後まで馴染めなかった妻の例から、昔から好きだった幼馴染との縁談も断る。
そんな中、清兵衛の剣の腕を見込んだお上から敵の討伐を命じられる。清兵衛は今の自分に人は斬れぬと断ろうとするものの、圧倒的な権力に逆らうことはとうとう出来ず、承諾する…

彼は周りが言う通り、不幸だったのか?
それとも彼自身の「内面」では、幸福だったのか?

現代人が考えると面白い問題だ。
一人の現代人を想像してみよう。人がぎゅっと詰め込まれた朝の電車の中で、彼はスマートフォンの画面を眺め、SNSで他人の人生をチラ見して、それを他人とシェアしている。そうこうしている内に始業時間になり、上司にコーヒーを注ぎ、余分な仕事を押し付けられ、不平不満を言いながら作業に追われ、少ない休憩時間にいつかは結婚して庭付き一戸建てをローン組んで買いたいと同僚に夢を語る。へとへとになりながら安いワンルームに帰宅して、コンビニで買った弁当をぱぱっと食べ、氷結ストロングをがぶ飲みし、バラエティ番組を流しながら、布団に潜り込み、やはりスマートフォンを取り出して他人の人生を羨みながら眠りにつく。そして同じ日々を繰り返す。
時代のうねりは避けられず、人生は常に問題だらけだ。奨学金や家賃、税金など月々の請求に支払わねばならず、少ない小遣いで日々の細々とした出費をやりくりせねばならない中、会社は業績が傾きつつあり、健康診断では肝臓に問題があると判明し、正直なハナシ将来が見えてこない不安にかられ、婚活パーティーではうまく立ち回れず、友人たちの無邪気なマウンティングに辟易する。再三の注意にもかかわらず相変わらず隣人は騒音を立てるのを止めず、実家ではとうとう父が癌で入院する。足元を見れば靴は壊れ、上を見れば雨粒が目に沁み込み、あるいは陽の光に立ち眩みを起こす。
こんな表面的な言葉で、彼が不幸か幸せかというのを、一体どうして決められるというのか? 彼の語られない人生の側面を誰が知っているというのか? 自分の人生を真に豊かにするものとは、一体なんなのか?

清兵衛の身の処し方を見よ。
俺はただ一つ、泣いた。

(ちなみに最後清兵衛が戦った敵がやたらかっこよかった。彼は自分を殺しにやってきた清兵衛に対しひとまず飲もうと提案し、自分語りを始める。画面の演出から何から何までクールな場面だった)
(最後のシーンが良かった。すっかり年老いた娘が墓の前で父を偲ぶ。このシーンがマジで良かった。俺は泣いた)

たそがれ清兵衛

たそがれ清兵衛